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広島地方裁判所竹原支部 昭和42年(ワ)12号 判決

原告 川端幸松 外一名

被告 進徳海運株式会社

主文

一、被告は原告両名に対しそれぞれ金二四〇万四、八三二円及びこれに対する昭和四二年七月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告らの、その余を被告の、各負担とする。

四、この判決は、第一項にかぎりかりに執行することができる。

五、被告において、原告らに対し各金一五〇万円の担保を供するときは、前項の仮執行を免れることができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

被告は原告らに対しそれぞれ金三〇〇万円及びこれに対する昭和四二年七月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。仮執行の宣言。

二、被告

原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二、請求原因

一、被告は、汽船第三進油丸(小型鋼製タンカー。総トン数一九四・二八トン)(以下本船という。)ほか数隻の船舶を所有する海運会社であつて、真碕政夫を船長として、また、川端芳秋を海員として、それぞれ雇い入れていたものである。

二、本船の遭難事故の発生

(一)  本船は、昭和四二年一月三〇日午前四時五〇分ごろ、伊勢湾の入口、伊良湖水道神島東南東約一二キロメートルの海上で転覆し、間もなく沈没した。本船には、船長真碕政夫、機関長渋谷哲、甲板長田中政彦、機関員川端芳秋、司厨員高砂益男、甲板員笹田勇の六名が乗り組んでいたが、右事故により、笹田甲板員を除く五名が死亡した。

(二)  本件事故の状況

本船は、昭和四二年一月二九日午前六時ごろ、大豆原油約二五〇トンを積み込み、横浜港磯子を出港し、神戸港に向けて航行中、同月三〇日午前四時ごろ、三重県神島沖にさしかゝつたが、そのころより急に天候が悪化し、左舷船尾船員室入口から海水が侵入し始め、危険を感じたので、波浪を船首より受けるよう操船しながら全員を起床させ、排水につとめていたところ、機関室にも海水が侵入し機関が停止した。そこで真碕船長は、全員船橋に集るよう指示しながら、船舶電話にて危険を急報すべく種々操作したが、電話は通ぜず、笹田甲板員を除く乗組員五名は救命胴衣を着け、また、笹田甲板員は自室に救命胴衣があつたゝめ取りに行くことができず救命浮環を使用することとし、真碕船長はラジオブイを海中に投入し、同日午前四時五〇分ごろ本船は船尾より沈没し始め、全員同時に海中に飛び込んだ。その後、笹田甲板員のみは豊栄丸に救助されたが、他の五名は遺体となつて発見された。

三、真碕船長の過失

本件事故の原因は季節突風によるものとされているのであるが、真碕船長の天候異変に対する観察不充分、追波に対する措置の誤り、多量の海水の侵入を防ぐための何らの措置をとらなかつたこと、大豆油を船倉に積み込むにあたり満タンのもの(三番タンク)と空のもの(一番タンク)とをつくつており、三角波の危険を発見したとき、三番タンクの油を一番タンクに移さなかつたこと、浸水時における船舶電話の利用処置の誤り、人命救護のために適切な措置をとらなかつたこと等、真碕船長の過失に基因するものである。

四、被告の責任

本件事故は、被告の選任によりその指揮監督のもとにあつた真碕船長が、被告の業務に従事中、その過失に基因して生じたものであるから、被告は民法第七一五条によりこれによつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

五、損害

(一)  亡川端芳秋の逸失利益

川端芳秋は、昭和一六年一一月三日生れ、事故当時年令満二五才の健康体男子で、中学校卒業後、昭和三六年一〇月二一日から被告に海員として雇われ、被告所有の汽船第五進徳丸、進油丸及び本船に、甲板員、機関員等として乗り組み、事故当時被告から一か月金三万三、〇〇〇円の給料を得ていた。そして、もし本件事故がなかつたならば、川端芳秋は、その余命四〇年のうち三五年、すなわち満六〇才まで就労できたはずであり、その間少なくとも一か月金三万三、〇〇〇円の収入をあげ得たはずである。ところで、海員は大体食事付きであるが、その生活費を一か月金一万円とすると、川端芳秋の純益は一か月金二万三、〇〇〇円、一か年金二七万六、〇〇〇円となり、これに就労可能年数三五年のホフマン計算による係数一九・九一七を乗ずれば、その逸失利益の現価は金五四九万七、〇九二円となる。

(二)  亡川端芳秋の慰藉料

金三〇〇万円が相当である。

(三)  原告らの相続

川端芳秋の右(一)、(二)の合計金八四九万七、〇九二円の請求権は、その父母である原告らが、各自二分の一宛、すなわち金四二四万八、五四六円宛相続した。

(四)  原告ら固有の慰藉料

川端芳秋の死亡により、原告らが父母として被つた精神的な苦痛に対する慰藉料は、各金五〇万円が相当である。

(五)  損害の填補

原告らは、船員保険金一一八万八、〇〇〇円、葬祭料六万六、〇〇〇円のほか、被告から見舞金二七万円、香奠一万円、以上合計金一五三万四、〇〇〇円を受領した。

(六)  原告ら各自の有する右(三)、(四)の合計金四七四万八、五四六円宛の請求権から、右(五)の金一五三万四、〇〇〇円の二分の一、すなわち金七六万七、〇〇〇円宛をそれぞれ差し引くと、その残額は、各自金三九八万一、五四六円となる。

六、よつて原告らは被告に対し、各自、右金三九八万一、五四六円の内金三〇〇万円宛、及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四二年七月一五日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、被告の答弁

一、請求原因一、二、の事実は認める。同三、の事実は否認する。同四、の事実中、本件事故は真碕船長が被告の業務に従事中生じたものであることは認める。同五、の事実中、川端芳秋の年令、経歴、川端芳秋と原告らの身分関係、同(五)の事実はいずれも認めるが、その余は争う。

二、本船の沈没原因

(一)  本件事故は、もつぱら天候並びに風波の急変による浸水により生じた天災である。本船は、昭和四二年一月二三日船舶安全法所定の第一種中間検査を受けて合格したのち、わずか一週間で遭難したもので、右中間検査は水密関係に主眼をおいて工事と検査がなされ、従つて、船体の構造と機能の両面において安全性が公認されたものであるから、船体に欠陥はなかつた。

(二)  浸水の原因は、風波が突如として大きくなり、操船不能となつた状態において、船体を押しつゝんだ大波のため両舷側入口扉から浸水があり、かつ、最終的には、船体に上から押しかぶさつた大波による海水が機関室後部上方の天窓から激しく落下し、機関とこれに連動した排水ポンプを停止させ、沈没のやむなきに至つたもので、これももつぱら、操船技術や船体能力をこえた異常な波浪の発生によつたものである。

(三)  船舶電話(本件遭難現場は緊急通信の到達範囲外であつた。)やラジオブイの使用は、危難発生後の事情であつて、沈没原因とは無関係である。かりに、これらが正常に作動していたとしても、その後の救難活動の状況及び高波や寒さの状態からみて、川端芳秋の死亡を防止することはできなかつたと考えられる。

三、真碕船長の無過失

(一)  真碕船長は、前夜の出港を見合わせ、天候状態を見定めたうえ横浜港を出港したもので、その後、浸水状態が生じた時点までの間、多少の天候悪化はあつたが、未だ強風波浪注意報にも接しない時期であつたから(注意報が発令されたのは、本船沈没後の同日午前五時一〇分であつた)、この時点において、本船が異常風波の発生による危難状態に突入することを予測することは不可能であつた。そして、浸水状態を生じてから危難状態に立ち至るまでの間についても、三角波の大きさや浸水状態は当初は程度の問題であり、本船の水密能力、排水能力に対する中間検査後であることからの信頼度、当時付近を航行していた船舶が数隻あつたこと、及び付近に適当な待避港のなかつたこと、などからみて、直ちに真碕船長に対し、危難を予測して続航を見合わせて避難すべき義務を課するのは酷である。本船は、沈没直前の同日午前四時一五分ごろから同三〇分ごろまでの十数分位いの間に、波浪の状態が急変悪化し、観察と予測をこえる異常な三角波または高波の発生のため、危難状態におち入つたものであり、事態が急変しはじめてからのちの危難状態はすでに不可抗力の事態であつて、その後沈没までの経過に、真碕船長の過失や危害防止義務を考えることはできない。かように、真碕船長が危難を予測しないで続航したことに過失があつたということはできない。

(二)  真碕船長は、天候が悪化しはじめてからのちは、みずから指揮して操船にあたり、折からの北西風による波浪を船首から受けるべく、進路を三重県的矢に向けさせる等、適切な操船をなさしめているのであつて、操船上の過失はない。

四、被告に損害賠償の責任はない。

(一)  被告は、真碕船長を、その所持する船員手帳により経歴確認を行なつたのち、昭和三九年四月二二日雇い入れたものであつて、その経歴によれば、昭和二三年以降船員歴一六年間に余り、その間事故歴もなく、すでに船長経験も有し、有能と認められる船員である。のみならず、被告は、真碕船長の乗務すべき船が油送船であることから、試用訓練期間をおいたうえ、船長の職務につかせたものである。従つて、被告は真碕船長の選任について相当かつ充分な注意をしたものというべきである。

(二)  海商法及び国際海上物品運送法上、船舶による航海中の事故による損害賠償責任につき、船舶所有者は、該船舶の堪航または堪荷能力については免責されることはないが、航行上の責任については免責されるとの法理と船舶有限責任の法理とが採用されている。右法理は、直接には物品運送に関するものであるが、その内容は、海上事故に関する賠償ないし補償に関する解決基準を示すものであるから、本件のような乗組船員からの人的な賠償請求についても、右法理が準用されるべきである。そして、本船の堪航性は、前記中間検査の合格により認められるから、かりに、真碕船長に航行上の責任があるとしても、被告に対しては賠償責任は免責されるとすべきである。

(三)  船員法によつても、航行上の責任は挙げて船長一身にあり、その半面、船長には航行上の判断、処置等の権能をすべて委ねられていて、船舶所有者は一般的な運航管理はなし得ても、出港して具体的航海に入つた船舶に対し、船長の右のごとき業務の執行について指揮監督をすることは、法的にも実際問題としてもなし得ない。本件の場合でも、本船が横浜を出港するまでは、被告から長距離有線電話等による指揮監督をなし得たが、本船が伊良湖岬沖の船舶電話による通話不能海域に至つては、およそ指揮監督の方途がなかつた。従つて、被告は、本件事故につき、相当な注意をなすも損害の生じた場合として、免責されるべきものである。

(四)  船舶の運航に関しては、職務を分掌する各海員は、船長の職務補助者であり、乗組員は一体となつて船舶をその所有者のために安全運航すべき義務が存するはずである。ところで、本船が沈没するに至る経過において、浸水の事態に対して、その発見者または持場の海員による浸水防止の処置が何ら積極的に講じられた形跡はないのであるが、右の処置は、船長の具体的な指揮がなくても、関係海員が緊急事態として対処すべきところである。特に、大量浸水とこれによる機関等の停止を招いた機関室の天窓は、天候の悪化にもかゝわらず開放されたまゝであり、浸水開始後にも閉ぢるものがなかつた点は、川端芳秋を含む機関部員の重大な過失であり、これが沈没の決定的原因となつたことからすれば、川端芳秋にとつて、真碕船長の過失を問うまでもなく、みずからの過失により招いた事故であるのみならず、右過失は、被告に対する船員としての忠実な職務の履行を怠り、よつて被告に本船沈没の大損害を与えたものである。これらの点からみて、被告には賠償責任はないか、大幅な過失相殺がなされるべきものである。

五、損害について。

(一)  原告らは、船員保険金のほか、船員労務官栗本秋夫の仲介により被告から見舞金二七万円を異議なく受領したのであり、右は当事者間に示談が成立したものとみるべきである。

(二)  原告らが右保険金を受領したことにより、被告は、船員法第九三条、第九五条により、すでに本件について災害補償の責任を免れている。

第四、証拠〈省略〉

理由

一、請求原因一、二、の事実は当事者間に争いがない。

二、真碕船長の過失

いずれも成立に争いのない甲第一号証の一ないし四、同第三ないし第八号証、同第一九号証、同第二〇号証の四ないし八、乙第六号証、いずれも原本の存在並びにその成立に争いのない乙第七号証、同第九号証、証人前田勲の証言により真正に成立したものと認められる乙第四号証、証人笹田勇、同前田勲、同妹尾一夫の各証言を総合すれば、次のとおり認められる。すなわち、

(一)  本船は、沈没当日の午前〇時から笹田甲板員が航海当直に立ち、午前〇時三〇分ごろ舞阪灯台の二、三海里沖合を陸岸に沿つて西航中、北西の風が次第に強くなり、渥美半島赤羽町沖に達した午前三時ごろ、真碕船長が昇橋してきたが、そのころには、かなり強い北西の風が吹き、天候は晴れていたが、海上は荒れ模様となつていた(伊良湖岬備付のロボツト気象観測機は、午前三時、北々西の風、風速毎秒一五・八メートル、午前六時、北西の風、風速毎秒一四メートルを記録しており、海上ではそれよりさらに強い風が吹いていたものと推定される)。午前三時三〇分ごろ、真碕船長が針路を的矢に向けるよう命じたので、笹田甲板員は本船を三重県的矢湾口の安乗崎灯台に向け、南西微西に変針して、続航し、伊良湖水道沖を横切りにかゝつたが、そのころから北西の風はますます強くなり、波浪が甲板上に打ち上げるようになつた。当時、気象台から警報等は発表されていなかつたが(名古屋地方気象台から強風、波浪注意報が発表されたのは、本船沈没後の午前五時一〇分であつた)、伊良湖水道の潮流は北西流であり、これと同水道から吹き出す北西の強風との関係から、三角波の発生することが当然予想された。従つて、真碕船長としては、これ以上西航して伊良湖水道沖を横切るのを一時見合わせ、渥美半島沖合の適当な場所に避難するか、または、船首を波浪に立て適宜減速して被浪を少なくし、波浪の状況を見定めてから航行すべきであつたのに、これらの措置をとらず(真碕船長が、被浪を少なくするため、船首を北西に向け波浪に立てる措置をとつたのは、すでに浸水が激しくなり危険状態におち入つたのちのことである)、そのまゝ続航したゝめ、波浪が絶えず甲板上に打ち上げた。

(二)  午前三時五〇分ごろ、真碕船長は笹田甲板員と当直を交替してみずから操舵を始めたところ、渋谷機関長が機関室から昇橋してきて、「通路まで水がきている、もつじやろか」と云つたが、真碕船長はこれに何らの返答も指示も与えなかつた。そこで、笹田甲板員は心配になり、後部上甲板上の出入口から船内の通路に下りて見たところ、左右両舷の出入口の各扉(水密扉)は一応閉鎖されてはいたが、確実に閉鎖されていなかつたゝめか、その各扉のすき間から、甲板上に打ち上げた海水が侵入して、前記通路上に約一〇センチメートル浸水し、次第に浸水量が増大しているように思われた。笹田甲板員は、直ちに引き返して真碕船長にその旨を知らせた。なお、後部上甲板上の前記出入口の扉(水密扉ではない。)は終始開放されたまゝであつた。当時、三角波が激しく本船に打ちつけ、波浪は甲板上のみならず、時には船橋上にまで打ち上げていたのであるから、真碕船長としては、浸水防止、水密保持のため、左右両舷の水密扉の完全閉鎖、後部甲板上の出入口の扉の閉鎖等の措置をすべきであつたのに、これらの措置をとらず、右各扉の開閉の状況等の確認をすることもしないで、そのまゝ続航した。

(三)  午前四時一五分ごろ、笹田甲板員は再び前記通路の様子を見に行つたところ、浸水はますますひどく、通路上約三〇センチメートルまで浸水していたので、高砂司厨員を起こして、これを伴つて船橋に引き返した。その間、田中甲板長、川端機関員も船橋に来ていた。その後、渋谷機関長と川端機関員が機関室に下りたが、午前四時三〇分ごろ、「危険だ」と云つて昇橋して来た。同時に、真碕船長はみずから前記通路の様子を見に行つて直ちに船橋に引き返し、船橋に集つていた全乗組員に救命胴衣の着用を命ずるとともに、船舶電話で緊急通信を開始したが、到達圏外のため通じなかつた。また、そのころ真碕船長は自動遭難発信装置(ラジオブイ)の使用にかゝつたが、その使用方法を知らなかつたのか、または、その使用方法を誤つたのか、正常に作動しなかつた。

(四)  午前四時四〇分ごろ、異常な三角波による波浪が後部上甲板上の出入口(その扉は開放されたまゝであつた。)からも激しく浸水し、機関は前進全速のまゝ、自然に停止し、午前四時五〇分ごろ、船尾から沈没し始めた。

(五)  当時、数隻の船舶が付近を航行していたが、いずれも本船の沈没に気がつかず、午前六時二五分ごろ、付近を航行中の第一七月星丸(総トン数四九九・六八トン)が船首付近のみを海面上に突き出して沈没している本船を発見し、午前六時四〇分ごろ船名を確認して、鳥羽海上保安部に通報した。午前六時五〇分ごろ、第一七月星丸は、本船の付近で、救命胴衣を着用して漂流していた高砂司厨員を救助(ただし、間もなく死亡)した。また、付近を航行していた豊栄丸(総トン数三七七・五六トン)は、午前八時一五分ごろ、救命浮環につかまつて漂流していた笹田甲板員を救助し、午前九時二〇分ごろ、救命胴衣を着用して漂流していた渋谷機関長の遺体を収容した。さらに、午前九時一五分ごろ、付近航行中の第五勇正丸は、救命胴衣を着用して漂流していた川端機関員の遺体を、また、午前一一時四〇分ごろ、巡視船はまちどりは、救命浮環につかまつて漂流していた田中甲板長の遺体を、それぞれ収容した。なお、真碕船長の遺体はその後同年四月二二日操業中の漁網にかゝつて発見、収容された。

かように認められる。証人栗本秋夫、同佐川優の各証言中、以上の認定に反する趣旨の部分は採用できない。

右事実によれば、本件沈没事故は、真碕船長が、夜間、ほゞ満載状態に近い本船によつて、北西風が次第に強くなりつゝあつた遠州灘を西航し、南西微西に変針して伊良湖水道沖を横切りにかゝつた際、すでに北西の風がますます強くなり波浪が甲板上に打ち上げていたのみならず、その先の伊良湖水道では風向と潮流とが相反し三角波の発生が当然予想されたのであるから、そのまゝ続航するにおいては被浪による浸水の事態の生ずる危険のあることを予想し、同水道沖を横切るのを一時見合わせる等、航海の安全に慎重を期すべきであつたのに、これらの措置をとらずに強いて続航したこと、しかも、その後、船尾に浸水が始まつた旨を知らされながら、左右両舷の水密扉の完全閉鎖、後部上甲板上の出入口の扉の閉鎖等、浸水防止、水密保持のための何らの措置をとらず、浸水量が増加するにまかせていたこと、等、真碕船長の運航に関する職務上の過失によつて発生したものといわなければならない。

なるほど、本件沈没の直接の原因は、異常な三角波による大量の浸水にあることは明らかであるが、ことこゝに至るまでの経過において、真碕船長に前認定の過失がある以上、これを異常天候、気象による不可抗力ということはできない。

さらに、本船が危険状態におち入つた際、真碕船長が自動遭難発信装置を適正に作動させていたとすれば、前認定の本件事故後の乗組員に対する救助活動の状況や、事故現場が陸地から比較的近距離にあつたこと、乗組員全員が救命用具を使用していたこと、当時数隻の船舶が付近を航行していたことなどからみて、あるいは乗組員全員が救助されたかも知れない可能性があつたのであるから、笹田甲板員を除く乗組員全員の死亡につき、真碕船長には右自動遭難発信装置の取扱を誤つた過失があるといわなければならない。

三、被告の責任

本件事故は、船舶所有者である被告が選任しその指揮監督に服する真碕船長が、被告の業務として本船を運航し、その航海中に発生したものであることは、当事者間に争いがなく、かつ、本件事故は、真碕船長の過失によつて生じたものであること前認定のとおりであるから、被告は、民法第七一五条第一項本文により、本件事故によつて他人に生じた損害の賠償責任を負うべき関係にあるところ、被告は、同条項但し書による免責を主張するので、判断する。

商法第六九〇条第一項は、船舶所有者は、船長等がその職務を行なうにあたり他人に加えた損害については、一定の海産を委付してその責任を免れることができる、たゞし、船舶所有者に過失があつたときはこのかぎりではない、旨を規定する。右規定は、船舶所有者が、船長等(特に航海中の船長等)の職務の執行を適切に指揮監督するのは事実上極めて困難であること、また、船長等を選任するに際し、その船長等が法律上要求される海技免状等の資格を有したというだけでは、直ちにこれが選任につき過失はないとはいえないにしても、船長等の職務の性質上、通常の場合に比し、一般に選任上の過失を認めるのは因難であること、などの事情があるため、かくては、船長等が職務を行なうにつきその過失により他人に加えた損害については、船舶所有者は、民法第七一五条第一項但し書により、おゝむねその責任を免れることとなり、損害を被つた第三者にとつて極めて酷な結果となることにかんがみ、民法第七一五条の使用者責任を強化するために設けられた規定である。すなわち、商法第六九〇条第一項は、船舶所有者は、船長等の選任監督につき過失があると否とを問わず、常に民法第七一五条第一項本文による責任を負うべきことを前提とし、たゞ船舶所有者に右の過失のない場合には、一定の海産の委付による免責を得させることとしたものであつて、たとえ、船舶所有者において、船長等の責任監督につき過失がない場合でも、委付による免責を得る以外には、免責を許さず、その限度において、民法第七一五条第一項但し書の適用を排除する趣旨の規定であると解するのが相当である。

従つて、被告の民法第七一五条第一項但し書による免責の抗弁はそれ自体失当である。

次に、被告は、船舶所有者は、船長の航行上の過失に基因する事故による損害賠償責任については免責されるべきである旨を主張するので、判断する。

船舶所有者等の海上運送人の物品運送契約上の損害賠償責任については、国際海上物品運送法は、いわゆる外航船に関し、その責任内容を強行法的に限界づけ、運送人の過失のうち、いわゆる商業上の過失(運送品そのものの利益に関する措置についての過失)と、船舶の堪航能力に関する注意義務を怠つたことによる損害については、一切の免責約款を無効とするとともに(同法第三条第一項、第五条、第一五条)、いわゆる航海上の過失(船長等運送人の使用する者の航行もしくは船舶の取扱に関する過失)による損害及び船舶における火災(運送人自身の故意過失に基くものを除く。)による損害については、法律上当然の免責(法定免責)を認めている(同法第三条第二項)。(なお、いわゆる内航船の場合には、外航船の場合と異り、船舶所有者の物品運送契約上の損害賠償責任について、商法第七三九条により免責約款は大幅に禁止され、船舶所有者の商業上の過失と航海上の過失とを問わず、船長その他使用人の軽過失についてのみ免責約款が許容されるにすぎず、法定免責は認められていない)。しかしながら、船舶所有者の航海上の過失についての前記のような法定免責は、元来、海上物品運送契約上の責任にのみ関するものであつて、海上物品運送における船舶所有者と荷主の利益の現実的な妥協方式として意味を有する特殊な制度にすぎず、必ずしも船舶所有者の責任全般につき一般化されるに値するような合理性を内在するものではないから、これを他の領域に軽々に応用すべきものではないとして、海商法学者によつて批判されているものである。従つて、航海上の過失についての前記のような法定免責を、本件のような不法行為に基く乗組船員の死亡による損害賠償責任について類推ないし準用することは相当でないから、この点に関する被告の抗弁は理由がない。

四、過失相殺

被告は、本船が浸水の事態に直面した際、これを防止するため後部甲板上の出入口扉を閉鎖しようとした者がいなかつたことについて、右は川端芳秋を含む機関部員の重大な過失であるとし、過失相殺を主張する。しかし、浸水の事態に際し、川端機関員がとつた行動の具体的内容は、証拠上必ずしも明らかでないばかりでなく、船舶の運航責任者として船舶権力その他航行の安全に関する全面的な職務権限を有する船長から、具体的な職務上の命令が発せられる以前の段階において、単なる機関部員にすぎない川端芳秋に、みずから被浪浸水による沈没の危険の発生を予見して進んでこれが防止のための適切な措置をとるべきことを要求することはできないのであり、もち論、川端機関員が、真碕船長の命令に違反したとか、機関員としての職責を怠つたとかの事情は認められないのであるから、川端芳秋に過失相殺の対象とされるべき過失ないし落度があつたと認めることはできない。

五、損害

(一)  川端芳秋の逸失利益

川端芳秋は昭和一六年一一月三日生れ、事故当時年令満二五才の男子で、中学校卒業後、昭和三六年一〇月二一日から被告に雇われ、被告所有の汽船第五進徳丸、進油丸及び本船に、甲板員、機関員等として乗り組んでいたものであることは、当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第一七、一八号証、原告幸松本人尋問の結果によれば、川端芳秋は独身の健康体で、事故当時被告から月額三万三、〇〇〇円の給料等を得ていたことが認められる。そして、第一〇回生命表によれば、満二五才の日本人男子の平均余命は四四・〇九年であるから、本件事故がなければ、川端芳秋はなお四四年間は生存し得たはずであり、その間の少なくとも三五年間(満六〇才まで)は船員あるいはこれに類する職業に従事し、月額三万三、〇〇〇円の収入を得べきはずであつたと認められる。

次に、右収入を得るための生活費であるが、一般に、収入に対する生活費の割合は、独身のころは高く、結婚して世帯を構え、子供をもうけ、それが成長するに従つて漸次低くなる傾向にあるということができる。本件の場合は、船員法第八〇条第一項、同法施行規則第五〇条により、船員が乗船し、航海その他の船務に従事する期間中、船舶所有者において、その費用でこれに食料を支給しなければならないものとされているから、一般の場合に比しその割合は低いはずであること、原告幸松本人尋問の結果によれば、川端芳秋は生前、毎月前記収入のうち金一万二、〇〇〇円ないし一万三、〇〇〇円を、生活費として父母である原告らに渡していたことが認められること、などの事情を考えると、収入の算定にあたり将来の昇給等を考慮しない以上、その生活費の割合は、その全稼働期間を通じ収入の五割(すなわち月額一万六、五〇〇円)をこえることはないものとみて差しつかえはなかろう(ちなみに、昭和四〇年における全国勤労者世帯で、月収三万円以上三万五、〇〇〇円未満の場合の年間平均消費支出は、世帯人員三、七二人で月額三万一、一六〇円であるから(総理府統計局編「家計調査年報」による)、一人当りの平均支出額は月額八、三七六円であり、世帯主の支出額はこれを上廻ることを考慮に入れても、前認定の生活費の額はかなり多いめに見積つたこととなる)。

そうすると、川端芳秋は、本件事故当時から三五年間、前記収入の五割、すなわち月額一万六、五〇〇円、年額にして金一九万八、〇〇〇円の純益を得べかりしものであつたと認めることができる。

そこで、本件事故当時を基準として、三五年間、毎年末に金一九万八、〇〇〇円宛の年金的純益があるものとして、ホフマン式計算法により法定利率年五分の割合による中間利息を控除して、その現在価額を計算すると、次の算式により、金三九四万三、六六五円となる。

198000円×199175(以下切捨)= 3943665円

(期数35 利率0.05の場合の単利年金現価率)

(二)  川端芳秋の慰藉料

上来認定の諸事情を総合すれば、川端芳秋の精神的苦痛に対する慰藉料としては、金二〇〇万円をもつて相当と認める。

(三)  原告らの相続

原告らが川端芳秋の父母であることは当事者間に争いがなく、前記甲第一七号証によれば、原告らのみがその共同相続人であることが認められるから、原告らは、川端芳秋の有する右(一)、(二)の損害賠償請求権合計金五九四万三、六六五円を、各自二分の一の割合で、すなわち金二九七万一、八三二円(円未満切捨)宛相続したものというべきである。

(四)  原告ら固有の慰藉料

いずれも成立に争いのない甲第一五、一六号証、前記甲第一七号証、原告幸松本人尋問の結果によれば、原告幸松は大正三年三月一二日生れで、妻である原告マツノ(大正九年九月二一日生れ)のほか、いずれも未成年の一男三女と老母をかゝえ、漁業に従事して月収約二万円を得、長男である川端芳秋から生活の援助を受けていたものであるところ、突然に長男を失い、原告らは父母として相当の精神的苦痛を受けたことが認められる。これに対する慰藉料としては、前記(二)の慰藉料の相続等の事情も考慮して、原告ら各自につきそれぞれ金二〇万円をもつて相当と認める。

(五)  結局、原告らは、それぞれ、前記(三)、(四)の合計金三一七万一、八三二円の損害賠償請求権を有するわけである。ところで、原告らが、船員保険金一一八万八、〇〇〇円(船員保険法第四二条の三による標準報酬の三六か月分に相当する遺族一時金と認められる)、葬祭料六万六、〇〇〇円(同法第五〇条の九による標準報酬の二か月分に相当する葬祭料と認められる。)のほか、被告から見舞金二七万円、香奠一万円、以上合計金一五三万四、〇〇〇円を受領したことは、当事者間に争いがなく、かつ、原告らはこれを右損害賠償請求権から差し引くべきものとみずから主張するので、これを各自二分の一宛、すなわち金七六万七、〇〇〇円宛差し引くと、その残額は、原告ら各自につきそれぞれ金二四〇万四、八三二円となる。

六、被告は、原告らが右の見舞金を異議なく受領したことにより、当事者間に示談が成立したものとみるべきである、と主張する。前記乙第七号証、証人栗本秋夫、同佐川優の各証言によれば、右見舞金の支給は、所轄の中国海運局尾道支局の船員労務官の指導によりなされたものであるが、原告らとの交渉に基いてその金額が決定されたものではなく、いわば被告において適当に定めて支給したものであることが認められるのであるから、たとえ、原告らが異議なくこれを受領したとしても、そのことから当然に、一切のその余の損害賠償請求権を放棄したものと認めることはできない。従つて、右抗弁は失当である。

次に、被告は、原告らが前記船員保険金(遺族一時金)を受領したことにより、被告は船員法第九三条、第九五条によつて災害補償の責任を免れている旨抗弁する。船員が職務上負傷または死亡する等の災害が発生した場合、船舶所有者はその船員または遺族に対し、船員法に定める災害補償の義務を負う。そして船員保険法による保険給付は、船舶所有者の右災害補償義務を国が代つて履行するものであつて、その実質において、船員法による右災害補償と同一である(船員法第九五条参照)。ところで、右のような災害が、同時に船舶所有者の不法行為を構成する場合には、その船員または遺族は船舶所有者に対し不法行為による損害賠償請求権をも有するのであつて、船員法による災害補償または船員保険法による保険給付の各請求権と不法行為による損害賠償請求権とは競合し、たゞ、二重に損害の填補を得させるのは不合理であるから、右災害補償または保険給付が行なわれた場合には、船舶所有者は、同一の事由については、その価額の限度で、不法行為による損害賠償義務を免れるにすぎないものと解するのが相当である(船員法及び船員保険法には労働基準法第八四条第二項のような明文はないが、同条項はこの当然の帰結を明らかにしたものにすぎないから、右解釈は船員法及び船員保険法の場合にも妥当するといつてよかろう。なお、船員保険法第二五条参照)。そうだとすれば、被告が船員法第九五条により同法第九三条(遺族手当)の災害補償義務を免れたからといつて、不法行為による損害賠償義務をすべて免れるいわれはない。まして、船員法による災害補償または船員保険法による保険給付は、船員またはその遺族の財産的損害を補償するものであつて、精神的苦痛に対する慰藉を目的とするものでないから、原告らが、本訴において、川端芳秋及び原告ら自身の精神的苦痛に対する慰藉料、及び財産的損害のうち船員保険法による前記保険給付の額をこえる部分の賠償を求めるのを、さまたげるべき事由は存しない。被告の抗弁は失当である。

七、そうすると、被告は原告らに対しそれぞれ前記金二四〇万四、八三二円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四二年七月一五日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務あることが明らかであり、原告らの本訴請求は、右の限度においてこれを正当として認容すべく、その余は失当としてこれを棄却すべきものである。

よつて、民事訴訟法第九二条、第九三条、第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松田延雄)

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